グループ「timelesz(旧Sexy Zone)」のメンバーとして活躍中の菊池風磨さん。
その音楽センスは、実は父・菊池常利(きくち つねとし)さんから受け継がれたものだとご存じですか?
この記事では、菊池風磨さんの父である菊池常利さんの人物像や音楽家としての実績、そして嵐との意外な関係について詳しくご紹介します。
菊池常利のプロフィールと音楽家としてのキャリア
菊池常利さんは1965年3月9日生まれ、神奈川県横浜市出身のシンガーソングライターです。
アーティスト名「TWUNE(ツネ)」としても活動しており、1989年にはフォークデュオ「LA-LA Deux(ララ・ドゥ)」を結成して音楽活動をスタートさせました。
経歴については、ご自身の公式プロフィールTWUNETOSHI KIKUCHI OFFICIALで掲載がありました。
「TWUNE」の表記には、「SmallよりWorldであれ(小さく収まるな、世界で勝負せよ)」というメッセージが込められているそうです。
ツネの表記が「TSUNE」が正しいのではと思いましたが、これには菊池常利さんの思いが隠されていたんですね。
2001年以降はソロアーティストとして活動を本格化し、ライブや楽曲制作、他アーティストへの楽曲提供など幅広く活躍。
例えば、JR東日本のキャラクター「トレン太くん」のCMソングも菊池常利さんが手がけた楽曲のひとつです。
嵐のデビュー曲「A・RA・SHI」の作詞者だった
菊池常利さんの代表的な功績のひとつが、嵐のデビュー曲「A・RA・SHI」の作詞です。
この楽曲は「J&T(Johnny’s & TWUNE)」という名義で発表され、ジャニーズ事務所とのコラボとして世に送り出されました。
「A・RA・SHI」は今やジャニーズを象徴する一曲。
これを手掛けたことで、菊池常利さんの名は音楽業界でも知られる存在となりました。
その後もTOKIO、滝沢秀明さん、今井翼さんなど、数多くのジャニーズタレントに楽曲提供を行っています。

私でもわかるくらい、そうそうたるメンツです。
その実力と信頼が、ジャニーズ事務所との長年の関係を築いたのでしょう。
菊池風磨に与えた父の影響と親子の共演

菊池風磨さんは、父・常利さんの音楽的な影響を大きく受けて育ちました。
音楽一家の環境で育ったことで、自然と音楽の道へと進むことになったのです。
実際、音楽が身近な環境の中で自然とその道を志し、ジャニーズ事務所(現・STARTO ENTERTAINMENT)に入所。
入所のきっかけは「嵐への憧れ」だったと語っており、父がそのデビュー曲を手がけたことも、彼の人生に影響を与えたと考えられます。
2024年8月に配信された『よにのちゃんねる』(旧:ジャにのちゃんねる)では、菊池さんが嵐ファンとして語る姿も話題に。
冒頭で二宮和也が「本当に菊池風磨は嵐マニアなのか?」と言えば、菊池は「余裕、余裕っす」と即答。楽曲にまつわる情報を加えたほか、二宮よりも先にエピソードを喋る一幕もあるなど“古参”らしい構えで挑んでいた。
出典:Real Sound
また、風磨さんのソロ曲「Cocoa」では、菊池常利さんと親子で楽曲制作を行ったこともあり、音楽を通じた絆が垣間見えます。
ファンの間でも「風磨くんの嵐愛」に対して、こんな声が寄せられています。
「嵐のことになると 饒舌になる風磨くんを見て 嬉しいのが表情に出まくってるニノ 可愛すぎる」
「風磨くんが嵐大好きなのめちゃくちゃ伝わってくる。」
ファンのみなさんにも菊池風磨さんが嵐好きなのは、見ていてほっこりするようですね。
まとめ:音楽でつながる親子の軌跡
父・菊池常利さんは、嵐の名曲「A・RA・SHI」をはじめとする数多くの楽曲を手がけ、音楽界で確かな実績を築いてきました。
その背中を見て育った菊池風磨さんもまた、timeleszの一員として、そして個人として多彩な活動を展開しています。
親子で紡いできた音楽の道には、ジャニーズとの深い縁や、ファンの心を動かす力がありました。
二人の音楽への情熱と才能は、これからも日本の音楽シーンに新たな風を吹き込んでいくことでしょう。
それぞれの舞台で輝きを放つ菊池親子の活躍に注目です。
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