井ノ原快彦さんといえば、V6のメンバーとして、また俳優やキャスターとしても活躍する多才な芸能人です。
しかし穏やかな人柄の裏には、意外にも苦労の多い幼少期がありました。
今回は井ノ原快彦さんの生い立ちに迫り、彼の優しさの源泉を探ってみましょう。
井ノ原快彦の生い立ちとは?

井ノ原快彦さんは1976年5月17日、東京都台東区浅草で生まれました。
インスタに幼少期の思い出とともにつづっています。
テレビでも紹介されていますが、下町育ちですくすくと育ったようです。


いい笑顔ですね!
6歳の頃に品川区八潮の団地に引っ越し、そこで育ちました。
団地からは一歩も出ずに生活が成り立つくらい様々な施設があったそうです。
東京都品川区にある八潮団地(八潮パークタウン)で育った井ノ原。
八潮団地は、1号棟~69号棟まであり、約1万3,000人が暮らす“マンモスタウン”である。
出典 :Real Sound
小学生時代の井ノ原さんは、典型的なやんちゃ坊主でした。
幼少期のことは、朝日新聞で井ノ原さん自身が語ってます。


よくケンカをし、勉強も苦手。
しかしその一方で空手を習い、全国大会で3位に入賞するなど、運動能力の高さも見せていました。
空手は中学まで続けていたそうです。
今回調べていく中で空手のことは初めて知りましたが、そんな印象がなかったのでビックリしました。
目立ちたがり屋だった井ノ原さんは学級委員も務めましたが、4年生の時には調子に乗りすぎてクラス全員から無視されるという苦い経験も。
この時期、家で漫画やアニメに没頭する日々を送ったそうです。
逃げるということも、ときには大事です。
過去に出演したオーラの泉で、幼少期のことについて触れられる場面がありました。
江原さんには「紆余曲折や逃げ出したくなるような苦労もあったが、親の良いところを見て、それを報いようとしている心が美しい」と言われていました。
三輪さんからも「心の中に地獄の深淵を持っている」と言われ、悲しみや嫌な思いもして、自己破壊に向かって行きそうになったが、一つ一つ自分で解決して来ているとも言われていました。
お二人の言及に井ノ原さんは特に具体的には答えませんでしたが、ここまでのお話でよくぞここまで理解してくれていると語っていますので、きっと表には出していない苦労があったのでしょう。
兄弟と家族の平和の架け橋を常にしていると江原さんに言われていましたので、井ノ原さんなりに間を取り持つという優しさがここで形成されました。
家族が「バラバラになっても不思議ではないくらいだった」と言われ否定もしていなかったので、つらい経験もたくさんしたのでしょう。
学業と芸能活動両立の苦労の日々


12歳でジャニーズ事務所に入所した井ノ原さんは、中学時代からジャニーズJr.として活動を始めます。
八潮団地の中にある八潮小学校に通っていた井ノ原は当時、必死にバック転の練習をし、小学6年生の時に自らジャニーズ事務所に応募して合格。
出典:Real Sound
ジャニーズ入所のきっかけは「西部警察」だったそうです。
「僕は子供のころの夢が警察官でした。ですが父から(本物の警察は、西部警察のように)ショットガンをぶっ放せないと言われて。じゃあ(演技ができる)芸能人になればいいと。
出典:MANTANWEB



今じゃ考えられないくらい、ありえない警察よね!



そうだね。
主人公がショットガンぶっ放してた印象が強烈すぎるよ。
しかし、芸能活動と学業の両立は決して楽ではありませんでした。
高校は東海大学付属望星高校(通信制)に進学しています。
高校の最初のテストで0点を取ったが、父親は「潔い」と笑ってくれたそうです。
0点はなかなか取れないので、本当に当時は勉強がイヤだったのでしょう。
しかし多忙な芸能活動と勉強の苦手意識から中退することになりました。
父親は「30歳までに卒業すればいい、辞めたことを気にするな」とも言ってくれたそうです。



立派なお父さんよね。



辞めることを止めるのは誰でもできるけど、励ますってなかなかできないことだと思うよ。
見習いたいね。
その後、父親との「30歳までに高校を卒業する」という約束を守るため、27歳で科学技術学園高校(通信制)に入学し直して卒業しました。
27歳といえばV6の活動も忙しかったでしょうから、ここでも両立は大変だったはずです。
メンバーからも覚悟を問われたようですね。
イノッチから高校再入学のことを聞いた時の坂本くんの返しが好き
— あいこ⍢⃝ぶいろく (@aico_vvv6) September 14, 2014
仰天の笑いのなかにV6のこれから問う厳しさとかほんの少しの怒りを含むかんじの声色がたまらん
他のメンバーとは違ったリーダーとしての返し pic.twitter.com/zOQ3bA7fqa
イノッチが高校に再入学すると言った時、第一声が「V6どうするの?」と心配する坂本 、年は関係ないと優しく背中を押す長野、「やりたい事なら、やればいい」、「心配はしてない、応援はしてる」と突き放したように見えて1番応援していた岡田。#岡田は屋久杉 pic.twitter.com/G8nRczv4ea
— 岡田は屋久杉 (@okajum_1118) July 7, 2017
イノッチが高校再入学する時
— まあや✌︎ (@ichimon_6) June 25, 2023
グループの活動はどうするのか心配するリーダー
素直に応援してくれるすごく良い人な長野君
笑いながらも応援するよって言ってくれる剛君
笑いながらもっとすごいことかと思ったって言う健君
全然驚かないで"行けばいいじゃん"って言う岡田君
それぞれの特徴出てて最高🤣
この経験を経て、色々なことを吸収できるから今では勉強が好きと思えるようになったそうです。
姉との思い出と両親の支え


井ノ原さんには美人のお姉さんがいます。
TOKIOの松岡さんもお姉さんに興味があったようです。
松岡も「今までの仲間で見た姉貴でダントツで綺麗なのが井ノ原のお姉ちゃんだった」と力説。
出典:Real Sound
特にお姉さんとの関係は、井ノ原さんの人格形成に大きな影響を与えました。
井ノ原さんの幼少期は姉と一緒に過ごすことが多く、姉の友達にいじられるなど、女性が多い環境で育ちました。
「でも、それが別に嫌じゃなかった。楽しかった。今に生きてるところも実はある」
出典:スポニチ
これが現在の親しみやすい性格につながっているとも言えるでしょう。
井ノ原さんは姉について「5歳離れてたら神様みたい」と語っています。
小さい頃にお姉さんがバレーボール選手にハマっていたそうで、14,000円もするビデオが販売されたそうです。
お姉さんから「14,000円ないか?」と尋ねられて井ノ原さんは貸したそうですが、催促してもなかなか返してくれなかったとか。
ところが姉に「どんだけ可愛がってると思ってるんだ。1万4000円分ぐらい可愛がってるだろ」と理不尽な回答をされた
出典:スポニチ
そんな強烈なお姉さんもいる井ノ原さんは、両親の支えがあったからこそ芸能活動と学業の両立ができたと感謝の気持ちを示しています。
まとめ
今回は井ノ原さんの生い立ちを振り返り、幼少期につちかわれた優しさの原点をお届けしました。
井ノ原快彦の生い立ちを振り返ると、やんちゃな少年時代から、芸能活動と学業の両立に苦労した青年期まで、決して平坦な道のりではありませんでした。
しかしこれらの経験が、現在の井ノ原の穏やかで優しい人柄を形成したと言えるでしょう。
家族との強い絆、特に姉との関係が、女性に対する理解や親しみやすさにつながっています。
苦労を乗り越え、約束を守る誠実さ、そして周囲への感謝の気持ちを忘れない井ノ原快彦さん。
彼の優しさと人柄は、まさに幼少期からの経験が花開いた結果といえるでしょう。
その後の井ノ原さんの結婚に関する記事はこちら↓


それでは、ありがとうございました!
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